ブックタイトル品質管理シンポジウム第100回記念史
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品質管理シンポジウム第100回記念史
品質管理シンポジウムの思い出と今後の期待日本電気株式会社名誉顧問佐々木元(1)品質管理シンポジウムとの出会い品質管理シンポジウムには第66回(1998年)から第78回(2004年)までの約6年間、組織委員を務めさせていただいた。お引き受けしたのが丁度、臨界事故やコンクリート壁の剥落など品質事故が頻発し、日本の品質管理が問われていた時代であり、シンポジウムからの情報発信が産業界・学会からも注目されていた。主担当組織委員を初めて務めた第69回シンポジウム(1999年)でも品質関係者全員で「我々はあらゆる品質の革新をめざします!」ことを誓った箱根宣言が採択され、デンソーの髙橋さんからも、日本ものづくり・人づくり質革新機構設立に向けた提案が発表され、まさしく日本の品質管理再興の時代であった。私と統計的品質管理との出会いは、日本電気アイシーマイコンシステム㈱のデミング賞挑戦に遡る。1987年にIC設計・ソフトウェア開発の業界として、初めてデミング賞に挑戦し、私もNEC側の開発・設計担当の責任者としてこの挑戦をサポートした。当時はこのような知識集約型の業界では、人材派遣的になりがちで、職場というものが職人芸を重視する徒弟社会的性格を持っていた。そのため、もぐらたたき的なバグ・ミスの撲滅から、不具合を分析して、より源流の手順にフィードバックするという「階層化設計」を生み出し、現場のモチベーション向上のためのSWQC(総合的ソフトウェア品質管理)活動の経験が組織委員としての活動に非常に役立った。(2)改善への取り組み組織委員を務めるに当たり、久米先生や前田建設の前田さんから、「参加者からの意見(アンケート結果)を分析して、シンポジウムをより良いものにしていくことが大切」とのお話しを伺っていた。参加者の皆さんからは、「グループ討論に多くの討論時間を割いたほうがよい」との意見をたくさん頂戴していた。そこで、主担当組織委員を務めた第74回には、日科技連事務局にも協力を頂き、一部シンポジウムのプログラムを見直すことにした。一つ目は、「初日(木曜日)の講演会の後に三々五々解散していたが、折角の集まる機会でもあり、談話室に集まりグループ毎に自己紹介の場を作ってはどうか」という提案をさせて頂いた。二つ目は、グループ討議の密度を濃いものとするために、事前にEメールでグループリーダーからの討議内容の発信やグループメンバーの意見交換をしてはどうか、という提案もさせていただいた。これらのプログラムの改善は今でも続いていると伺っている。(3)箱根の思い出箱根という場所柄、天候には左右されることが度々あったが、第67回(1998年12月3?5日)でもハプ40品質管理シンポジウム第100回記念史(50周年)~新たな50年に向けて~