ブックタイトル品質管理シンポジウム第100回記念史
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品質管理シンポジウム第100回記念史
「トヨタ」さんと「コマツ」さんの第100回シンポジウムの奇縁早稲田大学名誉教授池澤辰夫1960年代は、戦後の日本にとって大きな試練と危機が待ち受けていました。しかも、「第2の黒船」という日本国民全体の危機感でもありました。それは、期限つきの1965年の乗用車、建設機械、などの貿易自由化でした。米国のビッグスリーが入ってくれば、日本の乗用車メーカーは、トヨタ自動車さん、日産自動車さんしか残らないのでは…、また米国のキャタピラー社が入ってくれば、小松製作所さんなど建設機械メーカーは、倒産するかもしれない、という「全社的」危機感でした。この「全社的」危機感から、石川馨先生の「全社的品質管理」(日本的品質管理)が、1960年代に提唱されてきたのは、実に、時代のニーズに合ったものと云えましょう。そのため、1961年頃から、デミング賞実施賞の審査も、自然に「全社的」に実施され、営業・サービス部門の品質保証活動まで広がりました。当時、61年からコマツさんの川崎工場の指導をしていた私は、同時に、63年から全社の営業・サービス部門の指導が加わり、また、松下電器さんの部品事業本部の関連の東京電子部品営業所の指導に入りました。ちなみに、1965年前後、私の指導してきたデミング賞実施賞受賞会社(括弧内は受賞年度)を挙げますと、小松製作所(64年)、トヨタ自動車工業(65年・指導でなく審査員として参加)、松下電器・部品事業本部(66年)、ブリヂストンタイヤ(68年)、ヤンマーディーゼル(68年)…です。(その他、デミング賞に挑戦できなかった60年代の私の指導会社としては、神戸製鋼、日産車体、日本ビクター、松下電器・厨房器事業本部、九州松下電器、松下電工さんなど…多数でした。)この「第2の黒船・開港」の1965年を期して、第1回の品質管理シンポジウムが開催され、しかも、国際化時代の幕開けとして、「第0回」を設けて「品質管理国際会議に向けて」のテーマを、前年の64年にスタートさせた初代の組織委員の先生方の卓見は、誠に素晴らしいものです。しかも、驚くべき奇縁は、この第100回シンポジウムです。上述の「トヨタ」さんと「コマツ」さんのトップが、相まみえて、「特別講演」をして頂くことです。すなわち、65年のトヨタ自動車の受賞当時、常務取締役としてTQCの推進をしておられ、今日、世界一の「トヨタ」にされた豊田章一郎名誉会長、および、64年の「コマツ」の受賞時、新入社員としてTQCを学ばれ、2000年代に、再構築され、ダントツの「コマツ」にされた坂根正弘相談役のお二人の「特別講演」の揃い踏みがあるのですから、瞬時に満員札止めになるのは、当然のことです。とにかく、満90才の豊田名誉会長が特別講演をされることを思えば、私ら若輩(87才)が、足腰が弱くなったなどと弱音を、吐38品質管理シンポジウム第100回記念史(50周年)~新たな50年に向けて~